2013年 05月 21日
-

ウンブリア地方のテルニと言う所の近くに滞在中。そこにある湖の岸辺からの眺めを描いているところ。途中隣に釣りをする親子が現れた。イワナの様な魚が釣れていた。

先週から週間天気予報は全て晴れ時々雨。実際日によって晴れたり、曇ったり、時々雨が降ったりしているが、その日になってみいと全く分からなく予報はあまりあてになっていない。
■  [PR]

# by tak-kaneko | 2013-05-21 03:28
2013年 05月 10日
-


■  [PR]

# by tak-kaneko | 2013-05-10 16:07
2013年 05月 10日
滞在3日目
現在フィレンツェ3日目。
今週末にかけて天気が良くない様子。

個展などで「何故イタリアなのか」と聞かれることがたまにある。風景を描く自分にとって今イタリアの景色に光と空気感の魅力を再確認させられている。言葉で語り尽くせず、絵にもすべてを描き尽くすことすら出来ない(必要はないけれど)ものを目の当たりにすることで、自分の中に風景の魅力を蓄えていっている。行く度に絵に関する新しい発見や考察も、日本にいる時には無い早さで増えていく。
と、個展会場で上手に説明出来ればかっこ良いが、実際は「イタリアの田舎の方が好きなので、」で済ませてしまっている。これも嘘ではない。

フィレンツェで行きつけの画材やでled white(シルバーホワイト)を念のため買い足そうと思ったら、ヨーロッパでは鉛顔料の絵の具は販売禁止になって置けなくなったと言われた。
■  [PR]

# by tak-kaneko | 2013-05-10 16:04
2013年 04月 06日
風の仕業
外も暖かくなってきた。寒くはないが今日も風のある日。

クヌギの木の花も長く伸びていく。匂いは青く甘くずっとかいでいると鼻の奥に響いて頭が痛くなってくるもの。以前屋外で働く仕事をしていた時、このクヌギの花が落ちてくるのを竹ぼうきで掃くことをしていた。掃いてきれいになったと思ったらふーっと風が吹き、ハラハラと落ち、再び掃いては落ち・・。秋の落ち葉の季節も同じであった。寺の修行もそうだろうか。「また散らかるならば掃く必要などないのに」と思ったが、きれいにすることより。掃くことに意味があるのだと考えるようになる。

息子は今日も朝起きて出し抜けに自分の上に乗り、そして本棚から絵本をすべて抜き出した。彼が家で起きて活動しているとき、必ず部屋は散らかる。そして寝たら片づける。起きてまた散らかる・・。日々繰り返しているが、これも片づけることに意味があるのだろうかと考える。息子は春のいたずらな風のようだ。
片づけることも勿論教えてはいるが。
■  [PR]

# by tak-kaneko | 2013-04-06 12:00
2013年 03月 21日
最近の制作

大きな楠の木の幹。

今年の三月は風の強い日が多い。気温も急に上がる日もあり、眠っていた草花は慌てて芽を出し花を咲かせている様子。

■  [PR]

# by tak-kaneko | 2013-03-21 10:24
2013年 02月 16日
「夜の絵」と「昼の絵」


絵を始めるきっかけになった中学時代の担任の美術の先生が、以前絵を始た頃、「夜に絵を描くと夜の絵になるから・」と言っていたのが頭に残っている。その時は「夜の絵?」と思いアンリ・ルソーか何かの絵柄が頭に浮かんだ位であまり分からなかった。以降それについて注意を払うようになってから何となくその意味が分かってきた。
夜は周りの騒音や雑用が無いので集中がしやすい。眠気から解放されると気持ちが盛り上がりやすくなって、作られた作品は濃厚、濃密になる。「作品」と言ったのは、絵だけに限らないからだと思うから。恋文などは夜に書いてはいけないとよく言われる。朝見ると読めた物ではないらしい。書いたことは無いけれど。
井上義彦の「バカボンド」を読んだ時、これはたぶん夜に描かれているのではないのかな、と感じた。後半など特に世界観が濃密になっていた。

表現によっては夜に書いた方がいいものもある。自分の表現しようとしている絵の世界観は「昼間より」の物だと思っているので、出来るだけ日中に描こうとしている。個展前などではそうもいかず夜中まで描くこともある。そうするとつい筆を入れすぎて「濃密」になり雰囲気が変わってくる。

アンリ・ルソーの作品は夜描いたのだろうか昼描いたのだろうか。
彼が生きていた時代はまだ夜の照明が発達していなかったから絵は日中描いていたのだろう。
■  [PR]

# by tak-kaneko | 2013-02-16 15:21
2013年 02月 01日
ヒーロー
1/26
息子が保育園で覚えてくる事が多くなってきた。
ある日カレーを食べていた訳でもないのに戦いの最中「カレーパンチ」と言ってパンチをして来た。(戦いとは、息子が仮面ライダーで自分が怪獣で行うという設定の遊び)
アンパンマンのアニメは見た事ないしアンパンチも教えていないのだが。気付いたら、家の中には玩具の車、前掛け、靴下・・など、いつの間にかアンパンマンなどのキャラクターグッツが多く生活に入っていた。

子供の時以来久しぶりに見た最近の仮面ライダーなどは、ベルトだけでなく剣、色々な種類の指輪、果てには新しく出てきたライバルキャラクターのベルトその他等・大人の事情でグッツが増えているような気がする。

正義のヒーローのつもり。
絵を描くための「腕鎮」も息子に持ち出されて武器になってしまった。
■  [PR]

# by tak-kaneko | 2013-02-01 14:08
2013年 01月 15日
東京雪の日



防寒をしっかりして出かけたので寒さに苦しむことは無かった。東京の雪での話なので雪国で描くときはもっと暖かくして出ないといけないのかもしれない。

春夏秋冬を揃えて何時か「野川の風景展」を開いたら面白い。
■  [PR]

# by tak-kaneko | 2013-01-15 13:29
2013年 01月 07日
描き初め
1週間近く筆を持っていなかったので、始めるのに時間がかかった。絵の状態になれず怠っていたブログを更新したりしていた。これは、普段全く部屋で勉強などしていなかった中、高生の時、期末テストの勉強を始めようとすると部屋の片付けをしだしてまうような状態。恐らく新年仕事初めの人もそんな気持ちになっているのではないだろうかと勝手に思っている。
息子も今日から保育園に登園を始めた。久しぶりのお勤めで疲れたのか夜はふろ場でウトウトとしていつもより1時間早く寝てしまった。今、何の夢だろうか、「もう・かえって」と寝言を言った。
■  [PR]

# by tak-kaneko | 2013-01-07 23:26
2013年 01月 06日
光について
「もっと光を」と、色彩論を書いたゲーテは亡くなる間際に言ったらしいが、暗く色彩のない部屋で最期をむかえるのは厭だったのだろうか。
冬至前後は屋外と共に室内が暗くなるのも早くなってくる。もっと光が欲しくなる。日中、外では十分な光で描けているのだが、室内で加筆修正したり、外で作った絵から大きな作品を作ろうとするとその時の明るさと光の色の違いに違和感を感じ悩まされる。

理科の話。光の「スペクトル分布(引用:http://i-zukan.net/より)」は屋外の太陽光(または空の光)と室内の普通の蛍光灯では大きく違っている。下の分布図では、太陽光と蛍光灯のそれぞれの波長での色の強さが分かる。太陽光はすべての色(波長)でまんべんなくあるのに対して、蛍光灯は偏った特定の色域だけを強く持っている。

家庭用の蛍光灯では、ある特定の範囲の色は良く見える。
太陽光の色の移り変わりが平均的なのに対して、蛍光灯ではよく見える色とあまり見えない(見分けられない)色が出てくる。
照らす光は絵の画面に対して、各色をうつし出すもので、蛍光灯の光では絵の赤や黄色から緑の間の色、緑から青の色の違いがはっきり見えなくなってしまう。風景画では青や緑の使い分けが重要なので、それが見えず分からないまま描くのは、まるで鼻をつまんで食事しているような感じになってしまう。外からの自然な光のない夜に蛍光灯などの下で風景画を日中と同条件の見え方で描くのは、色の使い分けに関して至難の業なのである。
太陽光の下では見えていた黄緑~緑の微妙な違いが蛍光灯だと同じに見えてしまう。そうやって出来た絵は色の表現の幅が狭くなってしまうのである。
しかし屋内で描かなければいけない事も多くあるので、各色を出来るだけ見れる光源にしようと、今は高演色性の蛍光管を使っている。太陽の光とまではいかないが各波長の色をまんべんなく持っている。下はスペクトル分布図。
一般の蛍光灯のスペクトル分布

高演色蛍光灯のスペクトル分布

日中描く時に照らされる青空のスペクトル分布


「夜一生懸命描いて、朝、外の光に照らされて見たら全く大した事のない絵に見えて落ち込んだ。」と言った事はよくある話だけれど、夜の照明と太陽の光の演色性の違いも一つの理由になると思う。

しかし、絵を鑑賞するのは普通屋内なので、窓から自然光(直射日光でない)が当たるような場所に飾ってあったり、照明の整った美術館でない限り、鑑賞者が本当の色の豊かさを普段感じることは余りないかも知れない。

良い絵の条件は色だけではない、とも言う事になる。
■  [PR]

# by tak-kaneko | 2013-01-06 23:28


< 前のページ      次のページ >